フルタ丸流行語大賞2017

12月の劇団会議はやることが多い。本当に多い。ここにイチイチ書いてられないくらい多い。今年も、思った通りの劇団会議だった。
今、フルタ丸は自分たちのことを再定義しようとしている。そのための言葉を探している。自分達が何者なのか。劇団のことを第三者に伝える時の言葉。これ、自分達であるからこそ難しいのだけど、改めてもう一度定義しようと決めたのだ。言葉を持ち寄る。新鮮だった。笑った。ここからは僕の役目。フルタ丸を定義する。決まったら、ここに書こうと思う。

2回戦の鍋を順番につつきながら来年の話をする。シャンパンを飲みながら、適度に真剣に。けど、いったん脇道に逸れて「フルタ丸流行語大賞」を決めることに。これも恒例だ。誰からも求められてない気がするが、僕らにとっては一年の締めくくりにどうしても必要なイベント。
毎年、必ず対抗馬がいくつか出て来るのだけど、今年は強烈な一択で逃げ切った。

真帆が稽古場から帰る時に発した「雨がパラリラパラリラ」。

確かに、あの日は雨が降り始めていた。みんな外に出て「やべーやべー雨だ」と言っている中、真帆は極自然なトーンで、その言葉を発した。

「雨がパラリラパラリラ」

人間は出自を隠すことができない。千葉の県民性、ヤンキー文化の名残り。絶妙なダサさから来る可笑しみ。文句なしだった。満場一致でゴール。おめでとう。何もプレゼントはない。名誉だってないだろう。が、とにかくおめでとう。そう、これはめでたいことだ。

話は逸れてしまった。こうして無事に流行語も決まり、来年のことを一つずつ解体して開いて話し合う。あーだこーだと悩みながら、全員で納得して着地していく。劇団があっての一年。やはり、自分の基盤は劇団にしかない。ここがあるからこその外部。カウンターだ。僕はどこへでも行くし、決してどこへも行かない。これは相反するようでいて真理。

22人→1人

22人の女優達と作っていた舞台が終わったのが一週間前。最近、何をしているかと言えば、やはり稽古している。今、やっているのは「おはようインコさん その4」。いつもインコさんと二人で稽古場に缶詰状態。22人の女優→1人のコメディアン。当たり前だけど、もうこれは稽古場の風景が全然違う。インコさんとはネタのことを話しながらも、いつも雑談をしている時間がむちゃくちゃ多い。相変わらず、そんな感じのアイドリングをかましながら「その4」までやってきた。
いつの年始だったか、下北沢の焼き鳥屋で、インコさんからこのスタンダップコメディライブの相談を受けた。演出をやってほしい、という相談だった。やっぱ、古館伊知郎のトーキングブルースは凄いっすよねぇとか、そんな話をしていたその年に「その1」を「劇」小劇場で上演した。スタンダップコメディを演出したことも初めてだったし、何が正解なのかも手探り状態だったけど、なんとなく手ごたえがあった。「その2」は会場のサイズが倍になり駅前劇場。去年の「その3」はOFFOFFシアターで2演目で5日間公演だった。そして、今回の紀伊國屋ホール。チケットは完売。
1人でステージに立つコメディアン、芸人の格好良さは、ロックスターのソレと同じなんだよな、僕にとっては。面白さと格好良さの共存。来たる12月23日、酔いしれて欲しい。

もう観念した

ずっと買い替えてないものには寿命が来る。
とりわけ、僕はふだん使わないものは買い替える発想すらないまま生きている。
その一つがフォーマルな革靴。基本めったに履かない。というか、ほとんど履かない。唯一持っていた黒い革靴は実家で法事の時に靴底の一部が剥がれてしまった。何度かアロンアルファで直しながら使っていたが、もうダメだろうと思っていた。

今日、娘の七五三に出向くにあたり、その靴底ナシ革靴すら実家に忘れてしまったことに気付いた。さすがにスニーカーで行くわけにはいかない。
靴箱を漁ると、17年前、大学の入学式に履いた革靴が秘宝のようにして見つかった。「お、お前……まだ生きていたのか」。まるで帰還兵。そこにはまばゆさがあった。
強引に履いてみると、まだ足が入る。贅沢なことは言ってられない。自分が全部悪い。選択肢はコレしかなかった。
そんな革靴を履いて七五三を無事に終えて、革靴を脱いだ。
靴下の裏に革靴内部の革素材がメリメリと剥がれてくっ付いている。見たこともない光景だった。

こりゃあ、ダメだあ。。

本当に観念した。俺は何をしているんだという苛立ちすらあった。新しく革靴を買おうと思う。
携帯電話然り、観念のタイミングってのは急にやってくる。騙し騙しにも限界が来る。

ダブルヘッダーの季節到来

台本が脱稿したら、12月の舞台の稽古が始まった。女性キャスト22人でお送りするので、稽古場の人口密度が高い。まずは本読みからじっくりスタート。時間を掛けて進めたい所だけど、スケジュール的にあまりのんびりしてられない。かなりピッチを上げていかないといけない。みんな、がんばって。
夜はもう一つの稽古場へ。昼間と一転して、中年男性キャスト2人が待っていた。山田伊久磨と清水洋介の2人。目指すのは最強コンテンツ『虎の館』。再演を挟みながら、もう何回目の稽古なのかよく分からないが、今も新たな発見があることが嬉しい。もっと見つけないといけない。
稽古の休憩中、今、フルタが一番気になっている某女性モデルの素晴らしさを二人にプレゼン。思いのほか、二人が食いつき、その話題でしばらく稽古が中断してしまった。反省。帰宅後、モデルのことを更に調べ続けていくうちに、色んなことが分かってしまう。今、かるく放心状態。11月下旬あたりには『虎の館』の公演告知ができそうだ。虎が目覚める日は近い。

ワタシの変化を逃がさないで

カズオ・イシグロみたいなタイトルになってしまった。
この前、友人と娘の話になった。僕の口をついて出た言葉は「子供は…面白過ぎる」という結論だった。生まれた時、薄々感じてはいた。わりとすぐに確信に変わった。

劇団のお知らせDMに同封している「底辺育児コラム」をずっと書いて来た。その名の通り、娘とのことを書いている。2010年から人知れずやっているコラムなのに、楽しみにして頂けていることを聞く度に筆が走った。
けど、近年は年に一度の本公演になっている。つまり、コラムを書くタイミングがずいぶん減ってしまった。年に一度のタイミングでしかコラムが書けない。しかし、娘は相変わらず面白い。日々面白い。変わり続けていく。まいった。なので、公演とは関係なく育児コラムを書きたくなった。noteという場所で更新していくことにした。まずは2010年から書いてきたバックナンバーを少しずつアップしていく。お暇な時に読んでもらえたら。


育児コラム『演劇やってる場合じゃない。』
https://note.mu/furutajun/m/m86968e6ea2c0

梟の絵を買う土曜日

絵描きでもある、知人の芸人から絵を買いました。斉藤マサツグという男です。
彼が始めた「プライスミー」という絵とモノの物々交換の独自サービスがオモロくて、昨日のラジオにゲストでお呼びして一部始終を放送した。
一対一で話しながら刺激を受けた。
元々、彼の描く不思議な絵が気になっていたこともあり、この絵がSNSにアップされてから無性に欲しくなってしまった。動物シリーズらしく、その中の一点。
僕は鳥が全般的に嫌いなのに、なぜか梟だけは好きどころではなく大好きで。
斉藤君による絵の解説を経て、自分が梟を好きな理由さえ少し腑に落ちた気がした。
大事にします。

長野でやりたいボーイ

一泊二日で長野へ行って来た。書き掛けの台本が気がかりだったので、クソ重いノートパソコンをカバンにつっこんで家を出た。

昼頃に着いて、教えてもらった蕎麦屋でそばを食い、完全に満たされて近くのカフェに入った。するとオシャレな若い女性達が雰囲気良くランチを食べていた。なんだ、このあか抜けた雰囲気は。けど、ちゃんと地方特有のゆったりした時間も流れてる。この合わせ技に、長野良いぞと思い始めていた。
思い返せば、高校時代のスキー、友人の結婚式、大学時代の突然の逃亡やらで長野には度々来たことがある。けど、こんな昼間に長野駅の周辺をうろついたことが一回もない。歩けば歩くほど、この街の雰囲気がどこかに似てる気がしてくる。鎌倉だ。地元の人の日常と観光地っぽさがないまぜになっている感じが似ていた。

夕方から大学時代の友人達と会って、飲み屋を転々とする。色んな店に連れて行ってくれた。どこも一癖も二癖もある店ばかりで飯も酒も美味い。変人もいっぱいいた。


三軒目で友人らとの記念撮影。ぜんぜん上手く撮れない。その内の一枚、明らかな失敗のやつ。三人とも、目がキテなさ過ぎる。

でも、こんなんだったわと思う。フレームに収まってるだけマシだ。

今回は遊びに来たの半分、もう半分は彼らとの打ち合わせ。一人はこっちでテレビ局、もう一人は新聞社に勤めている。そんな友人たちの力を大いに借りながら企て始めた。そういう意味でも色んな人に会わせてもらった。どうなるか分からないが、どうにかしたい。目をつぶってる場合じゃない。

それはそうと、駅前に「りんごの木」があった。もう無くなってしまったが実家のケーキ屋も「りんごの木」だったが、こっちの「りんごの木」もケーキ屋。友人曰く、長野全域で幅を利かせてるという。完全に負けとるやないか。