やっている意味

ふー。


今日は稽古はなかったけど、打ち合わせと執筆で気付けば夜。
取り掛かっていたフルタ丸×カレーフェス舞台『食卓のピエロ』の台本がようやく脱稿した。果たしてどんなふうになるのかはやってみないことには分からない。経験則で分かっている部分もあるのだけど、まだわからない所も多分にある。分かったフリもしたくない。楽しみと同じ分だけの不安を抱えていたい。美味いカレーを食いながら見てほしい。話はそれからだ。カレーで盛り上がる下北沢で演劇をやれることのありがたさ。フルタ丸は期待に応える劇団だ。そう思っているし、そうありたい。


昼間のスーパーフルタフレームの打ち合わせでは、高柳さん、松田プロデューサーとファミレスで話した。話す内に、僕がスーパーフルタフレームをやっている意味についても改めて考えた。


どうしてこれをやっているのか。


僕には「劇団フルタ丸」があり、平沢さんとやっている「ひらさわひさよし&フルタジュン プロデュースシリーズ」がある。そして「スーパーフルタフレーム」がある。自分の演劇作品を発表するチームが3つある。これが多いのか少ないのか、もはや人と比べられるもんでもないのでよくわからないが、個人的には幸せなことだと思っている。もちろん、一番の格はフルタ丸であって、そこが僕の基盤。その上で他の2つが成り立っている。あと、全部に自分の名前が入ってんじゃねぇか!というツッコミもあるだろうけど、自己顕示欲の塊みたいに思われても反論の余地はない。僕はその欲が強いらしい。


話がソレてしまった。


それぞれのチームでやるということは、そのチームでしか作れない価値を見出しているからであり、出来上がる演劇作品の毛色がどれもこれも違っている。意識的に変えているのではなく、違ってくる。たどり着く所が違う。同じ人間が作っていても、同じ感じにはならない。それが面白いところ。


3つとも本気でやりたい。
本気という言葉は難しい。
言うは易し、行うは難し。


わかっとるわい。


そんなスーパーフルタフレーム『うっぷん』の人物相関図ができたよ。



それが言いたかったのだ。
これをよく見てもらい、劇場に足を運んでもらえると、さらに楽しめるはずなので、ゼッタイに見ておいてほしいというお願い。


公式サイトでも掲載しました。
http://sff.tokyo/


もう寝るよ、さすがに。おやすみなさい。