記録するという病

スマフォが身近になったせいで、娘にとっての写真や動画が日常になりつつある。
僕のスマフォをひょいと取り上げては、勝手に操作するのなんて日常茶飯事。
今日は、こんな写真を撮られていた。
夕飯直後、テレビを見ていたフルタだ。

思うに、記録に関する感覚が、もう僕らが子供の頃のソレとは全然ちがう。
エンピツとノートで記録するんじゃない。目の前で起きた現象を、そのまま動画として記録してしまう。しかもすぐにそれを再生して確かめることができる。すべてワンタッチ。汗一つかかない。娘は、それを寝転がりながらやってるし。


こんな手軽な記録方法、改めてすごいことじゃないか。
それを「当たり前なもの」として享受している子供たちの将来には、いったい何が待っているのか。プラスもあればマイナスもあるに違いない。


そもそも現代は「記録するという病」に冒されつつある。かく言う僕もそうで。手にしているデバイス側から、記録しなければならんようなプレッシャーも感じる。身近なデバイスにそういう機能を付けやがるからだ。そのせいか、不自由も感じる。
いっそのこと、もう何も記録しない。そう決めればどんなにラクか。
でもな、やはりムリなんだよなぁ。
記録するという病を解決する特効薬が、その内、現れてくれるはず。。