パラレルとは何だったのか

パラレルが終わりました。


終わってから…
いろんな仕事の締切先に謝罪から始まりました。


案の定、ぜんぜんやれていなかったのです。
今回は役者として出演しているわけでもないのに、
公演期間中は僕自身もずっと追い込まれているような感覚でした。


観てもらえた方には、その追い込まれ具合が分かるかと思いますが、
僕が役者なら無理でした。
それと同時に、僕には役者としての覚悟がないことがはっきりとわかりました。
それは悲しいとかではなく、やっぱりそうなったんだなぁっていう。
今後、一切のフルタ丸作品に出ないわけではないと思いますが、
今は脚本と演出に集中したい気持ちが強いです。


さて、パラレル。


この作品は何だったのか。僕はホンを書いた本人であるし、演出も担当した。
ストーリーや仕掛けに関してはもちろんコントロールしていた。
でも、そのコントロールの外側、はみ出した所にある何かをコントロールしていたのは役者でした。
役者同士が話し合い、作りこみ、僕がそれを見て修正していく。
そのプロセスこそが、パラレルを短期間で見世物に仕上げた最大の要因でした。
頼もしい座組みだったことに尽きます。
メンバーの皆、客演の皆さん、本当にありがとうございました。


そして、スタッフワークもドンピシャで合って来た。
スタッフなくして公演が成り立たないのは言うまでもありませんが、僕はギャラを払って雇うだけのスタッフ関係が嫌いです。その役割がその人でしかなくてはならない理由をいつも探しているし、それは実際にあるのです。そこから、豊かな時間が始まります。そうなれば、あとは大丈夫なんですよね。
スタッフの皆さん、ありがとうございました。またよろしくお願いします。


そして、作品に話は戻る。
パラレルとは願望の物語だと思ってます。
突き付けられた選択肢を前に、あっちもいいし、こっちもいい。
現実世界ではどちらかしか選べない。
でも、パラレルの中では、その選択の両方を選んでしまった場合の
言ってしまえば、僕らの欲望、僕らの夢を演劇化したんです。
そんな、すごく健康的な思考で生まれ出た作品でした。
僕は、そういうやつ作りたいんですよね。
夢をね、描きたい。
陳腐で臭く聞こえるかもしれませんが、それしかないじゃないですか。
絶望なんて絶対に描きたくない。


パラレルはこれにておしまい。
いつもそうして来たように、次に向かって動き出します。