フルタとVAIOの歴史

あたらしいノートパソコンを買った。
迷った挙句に、またソニー製品のVAIOを買ってしまった。
当たり前だけど、僕にとっては使いやすい。
だって、ずっとVAIOばかり買ってるから。
もう何代目だ?
いい機会なので、振り返ってみよう。


浪人生のとき、実家の我が家に新しいデスクトップがやってきた。
僕にとっての初代VAIOだった。
そのでっかいデスクトップを持って岐阜から東京へ上京。
地元に置いてくるなどという発想はなかった。


大学2年のとき、放送作家の仕事らしきものに首を突っ込み始めた。
ある放送作家事務所に入れてもらえることになって、事務所の慰安旅行へ行った。
ビンゴで10万円が当たり、その10万円でノート型の2代目VAIOを購入。
家には初代がいたが、罪悪感はゼロ。これは別物なんだと思い込もうとした。
初代は僕に何も言わなかった。


大学4年になり、初代VAIOが、部屋の占有面積を圧迫していることにようやく気付き、ウザくなり始めた。ソフマップで3万円で買い取ってくれることが分かった。別れはあっけなかった。段ボールに詰めて運送屋が運んで行った。涙は流れなかった。俺は東京に出てきて変わってしまったんだとひそかに思った。


そこから、2代目との蜜月期を迎える。元旦、衝動的に長野県に行ったりして、長野県のファミレスでネットサーフィンだけをして帰ってきた時もこの2代目と一緒だった。大学時代のフルタ丸作品は全部これで書いていたんだった。


大学を卒業して、いつだ。えっと、25歳くらいの時か。
懐が温かったこともあり、ふと欲しくなって、大きなノートパソコンを買った。
3代目VAIOだった。
機能と操作性と大きさにずぶずぶ溺れていった。2代目VAIOは決して壊れたわけではなかったのに、フェイドアウト。自然消滅。やはり、俺はもう東京でくそみたいな人間になったんだと考えた。


そして、29歳くらいの時、3代目が壊れた。体調が悪いことはわかっていたのに、病院にも連れていかず、酷使していたことが原因だ。当時、フルタ丸のことでも悩み、いろんなことを悩んでいた時期だった。けど、そんなことは言い訳だ。エロ動画を見まくっていたのが原因だ。たぶん、病名はウイルスだ。今となっては、もう少し支えてあげられたのではと思う。


3代目の残像を引きずりながら、僕は何事もなかったかのように
「ねぇねぇ、元気にしてたあ?」
と2代目に声をかけた。
2代目は埃をかぶりながらも健気に待っていてくれた。
そして、空白の数年間を埋めるように、2代目のお世話になった。
しかし、それと時を同じくして、ウルトラブックという代物が出回り始めた。


あれは忘れもしない、出会いは街角だった。振り返って追いかけた。
「あのう…すいません、お名前は…お名前だけでも!」
VAIOです」
4代目VAIOだった。もう完全に2代目のことはすっかり忘れていた。


この頃から、4代目と並行して、DELLという外国人とも付き合い始めた。
2股である。
事務所ではDELL、家ではVAIO。僕は完全に夢を見ていた。


そして、最近。
4代目の調子が悪くなった。何もしていなくても、突然、電源が落ちることが度々続いた。大事な原稿が、プツンと消えるという悪夢を味わった。4代目も決して言わなかったが、僕とDELLとの関係に気づいていたんだと思う。
家には帰らず、DELLの所ばかりにいるようになった。


「あんなメンヘラ女、忘れなよ」


DELLは煙草をくゆらせながら、僕にそう言った。


こうして、やってきたのが5代目VAIOだった。DELLには言ってない。


なんか無駄に長くなってしまった。。


あたらしいVAIOを買ったってことが、書きたかっただけなのに。