岐阜出身の小説家

直木賞作家の朝井リョウ池井戸潤奥田英朗とか。
みんな、今、小説家として活躍する有名人だと思うが、彼らはみんな岐阜出身だ。
ということに、最近気付いた。
僕は活字中毒的な人間でもないので、
暇な時に興味が湧いた本をテキトーに読んでるぐらい。
それでも、上に挙げた人たちの本が部屋に転がっていたりする。だいたい読んでいる。
その時は面白そうだから手に取っただけで、面白いから読んでいただけなのか。
そんなことを改めて考えてしまうに「岐阜出身」というキーワードがどうしても引っかかる。
もちろん、同じ岐阜出身だから読んでいたわけない。僕は彼らの親族でもないから、贔屓する理由もない。
それでも、同胞的な何かが理由とは言えないか。そう思った。思ったら思ったで、なんとなくそんな気がして来る。
目には見えない、岐阜に存在するリズム(あるのか?そんなもん)、自分のDNAに刻まれた何か(だから、何かって何だ!?)が反応して、読んでいて心地良いのではないか。
そんなデタラメな理屈を想像してみた。
全てが勝手な憶測に過ぎない。が、何かある気はしている。