残念ながら僕は

「ロックでメッセージを伝えることがダサいなんて思っているミュージシャンは、ロックがなんなのか何もわかっていないと思うな」


忌野清志郎がそんなことを言ってた。
こうして憶えているってことは、僕もそうだと思ったから。
ミュージシャンでもないのにね。
たぶん、演劇もそうだと思ったんでしょうね。
いや、そうだと思いたかったのかもね。
でも、そんなのはこちらの心の持ちようでどうにでもなる話さ。


7月にやるフルタ丸の次回公演で、
一緒にやらせて頂きたいと思っている俳優や女優さんと
昨日から今日に掛けて3人とお会いした。
色々とがっつり話せて楽しかった。


喋っていて思ったのは、
世の中にはいろんな演出家がいるんだなということ。
皆さんが出会ってきた演出家の話を聞けば聞くほど、
アーティストだなと感心する。
感心すればするほど、僕はアーティストにはなれないことにも気づいてしまった。
というか憧れはあった。ずっとある。
基本的に心配性な自分をさらに心配するという人生を歩んできたため、
それが演劇を創る姿勢にも直結していることばかりが思い出される。
僕に、もっとアーティストな気質があれば、そのへんも全然違っていたのかもしれない。
稽古を進めながら台本を書いたり、
もっと乱暴なことが言えたりもしたのかもしれない。
が、いかんせん心配性なのでムリな話だ。


そんなこんなで、もう第16回目となる公演。
今回も僕は心配性なやり方で演劇を創る気がする。
というか、他のやり方がぜんぜんわからないので、たぶんそうなる。


心配で心配で石橋を叩いて叩いて叩きまくって石橋が壊れ、
結局、ジェット飛行機に乗って渡る。
僕の理想だ。


だから、僕の心配はまだまだ全然足りてない。