美濃市に暮らす僕の友人達へ

昨晩のこと。


幼馴染のまこっちゃと下北沢の居酒屋で飲みながら色々喋った。
そんな話になって行ったのは、今思えばとても必然的であったような気がするが、
僕らの暮らしていた町のことになった。


岐阜県美濃市のことだ。
僕らは東京にいて、たまーに帰る程度になってしまった美濃市で暮らす僕らの友人についてだ。


26歳の時、小学校の同窓会があって、その時に感じた息苦しくなるような感じを表現したくて
催眠術というフルタ丸の芝居を作ったわけだったが、僕が知らないことがまだまだあったことに驚くと同時に、
ぐーーーっと胸が締め付けられるような閉塞感を感じた。


近所で一緒に遊んでいた同級生の皆のこと。


逆上してお父さんをナイフで切りつけてしまったやつのこと。
ヤクザに追われて町に戻って来られなくなったやつのこと。
32歳の兄が引きこもり家庭内暴力に走ってしまい、みんなの前で涙を流し「俺、どうすればいいんだろう…」と言ったやつのこと(いつもイケイケでそんなやつでもなかったのに)。
不動産に失敗し、家が競売に掛けられてしまったやつのこと。


僕はなんにも知らなかった。
現実なのか、ドラマなのか、悪夢なのか。
息苦しくなった。


僕はなんも知らずに東京でのんきに生きていたことも、なんか悔しかった。
親父や母ちゃんはなんにも教えてはくれなかった。
あえてかもしれないなって思った。
知らせなかったのかもしれないと思った。


みんな、普通に生きていると思っていた。
それが、なんだかみんな大変なことになっていた。


あの町を出てちょうど10年。
僕はまだ何にもできないと、改めて思った。
美濃市に暮らす僕の友人たちに向かって何もできてない。


まこっちゃとある作戦を練った。
僕らがあの町にできること、あの町に暮らす友達にできることを。
これを形にして成し遂げたい。
目標の一つに意味が一つ加わった。


小学校の時のこととかまだ憶えとるわ。
みんなでさ、集団登校してて、夏の暑い日にさ、長いトンネルの向こうに出口の方に蜃気楼のように夏草がこう揺れてて、
あれがすんごく遠く感じてたのに、大人になったらあんなに短いトンネルだったんだって気付いた時のショックったらなかったよ。
みんな、元気か?
僕のこのブログなんか見てないだろうけど、元気か?と問わせてくれよ。
ケーキ食ってるか?今日イブらしいぞ、みんな、ケーキ食ってくれよ、俺んちのケーキを。おやじ、タダであげてくれよ。
くそう、色々悔しいや。悔しくてたまらん。