オシャレというあいまいな概念

僕の住んでいる家の近くに婦人服の店がある。
そこに「おしゃれパンツ」「はきよいパンツ」という手作りポップの描かれたズボンが売っている。
もうそのポップはずっとあって、ずっとおしゃれであり、ずっとはきよいままだ。
そのズボンが「はきよい」か否かは、きっと万人がそれなりに分かる。
全く水分を吸わないゴムで出来たズボンは、きっとはきよくないはずだ。
けどさ、おしゃれって何なんだよという話だ。
その「おしゃれパンツ」なんていうポップを、なんとなくバカにしてる気持ちがあった。
もうずっと。だって、ずっとあるから。心の中ではずっとバカにしていた。
けどさ、きっとこのパンツを売っている人は、本当におしゃれだと思って売ってるんじゃないか。
で、そのポップに本当に惹かれて、そのパンツを本当に買っていく婦人がいるんじゃないか。
そう思うと僕はバカにしてしまった自分が恥ずかしくなった。
おしゃれというあいまいな概念のせいか。
いや、そうじゃない。
自分のおしゃれの押し付けこそが恥ずかしいと思ったから。
そして、そういったセンスのすべてに正解なんてないはずだから。


少し話は変わるけど、
先週の24日に、ずっと動向をチェックしていたグラビアアイドルのS・Aさんが芸能界を引退した。
彼女は最後の最後にヌード写真集を出版した。
もう2月ぐらいか、彼女が引退を決意したことが週刊誌にも出ていた。
その日を境に彼女のブログが変わった。
それまでの「アイドルという自分を意識したブログ」から「もはや引退するんだからアイドル云々じゃねぇよ、私を見てよ」的なブログへの変貌。
急激な変貌。
文体も書いてる内容も載せる写真も。
何もかもがピリっと変わった。そっちが本音だったんだろうなぁ。
かといって、ファンたちが幻想を裏切られ失望するわけでもなく、むしろ彼女のブログへのコメント数は増えて行った。
あー結局、こうゆうことだと思った。
人間はいつだって、そうゆう本音に用がある。



「どう思われようが良い。」


おしゃれというあいまいな概念に打ち勝つ唯一の真理。