失意

ずいぶん昔に、田中康夫が『なんとなくクリスタル』という小説を書いた。読んでないからから、どんな内容なのかは知らないが、知りたいという興味もない。しかし、素敵なタイトルだ。生活していて、ふと、その『なんとなくクリスタル』というタイトルをなんとなく思い出し、なんとなく声に出してしまう。2ヶ月ぐらい前だったか、狛江の市長選挙の時、田中康夫が応援演説で狛江駅前に来ていた。顔がテカっとして、得体の知れない目つきをしていた。自分が年を取った時、あんな脂っこい顔にはなりたくない。はっきりとそう思った。


昨日からなんとなく失意の中にいた。
自分で決めたあることを疑う自分が現れて、その決めたことを否定した。しかし、これは経験上、何度もある。結局はその否定は一過性のものであり、元の着地点に戻ってくることも分かっている。されど、疑う自分が現れる。これでいいのか、と。
その悪循環に陥った時というのは、簡単に抜け出せない。僕は、再びフレッシュネスバーガーに行き、オニオンリングをつまみながら、宮崎駿の『折り返し点』を読んだ。宮崎駿の志を知れば知るほど、失意は、どんどん深みにはまっていった。しかし、面白い。読み続ける。失意が最高潮に達したところで、店を出た。


ちゃんと誰かにとって、ちゃんと届くようなやつが創りたい。ただ消耗されていくのではなく、創った瞬間から、その作品は誰かの胸に向かって飛んでいく可能性を秘めており、僕は責任をもって、その作品を飛ばさなくてはいけない。そこには確固とした作品への責任がある。その責任を持てないような、持ちたくないような作品なら、最初から創る意味なんてない。一ミリも。