ただ羨ましかったのかもしれない

娘が奥さんの携帯電話を借りて、保育園の友人(彼女もまた母親の携帯電話を借りていた)と何やら話していた。僕は夕飯のたこ焼きをつまみながら、その会話に耳をそば立てるでもなく録画した「アメトーーク」を見ていた。娘から漏れ聞こえて来るのは、「明日、予定がないから一緒に遊ぼうよ」という約束に「いいよ」と答える会話。子供同士でそんな約束をしても叶うとは限らない。まだ一人で遊びに行けない限り、大人の色々な事情が関与する。しかし、そんなことは関係ないとばかりに勝手に詳しい約束を積み重ねていく。何時にどこに来て、どうするだとか。2人の中で気分が最高潮になったところで電話を切った。僕が「明日は遊べないよ」ということを娘に言うと「子供同士の話!大人は関係ない!」とキレられた。なんかすげぇ怒られた。水を差したと思われたんだろう。でも、久しく誰かと遊ぶ約束とかしなくなってることに気付く。飯の約束はしても、遊ぶ約束をしてない。そもそも「遊ぶ」って何だったんだろう?目的とか具体的なことがないと動けなくなっている。僕は娘が羨ましかったのかもしれない。