金魚のこと

昨日、飼っていた金魚が1匹死んでしまった。
2年前、金魚すくいで我が家へやってきた金魚で、娘が「古田金魚」という面白くない名前を付けたが、結局は「金ちゃん」と呼ばれていた金魚だった。
その後、同じように毎年1匹ずつ金魚すくいで我が家に金魚が増えていき、3匹になっていた。
そんな中、初代の金魚が死んでしまった。
奥さんが娘に知らせると、号泣。
命あるものはいつか死んでしまうことを知らないわけではなかったと思うけど、面倒を見ていたり、飼っていたものが死んでしまった経験は初めてだった。こういう時、親は娘にどんな言葉が必要なのか、娘と話をしながら改めて難しいと思った。ただの慰めに何の力もないだろうし、理屈なんかでは到底呑み込めないものがある。
僕も、子供の頃に飼っていた犬が死んでしまった時、小学校1年生だったか、その時のことをまだ鮮明に憶えている。
そう考えると、死んだもの、亡くなったものにできることは、やはり忘れないことかもしれない。
いつまでも憶えていること。
記憶と共に生きていくこと。