プロレスと説得力

最近、プロレスを見返している。
ユーチューブで名試合を遡り、中学の頃にリアルタイムで見ていた試合をもう一度見ている。
電車での移動時間もアイフォンで見ているぐらいだから、誰かにチラッと携帯を覗かれたら、肌色多目の画面はエロ動画を見ていると思われても仕方ない。


プロレスを見ながら、深いため息ばかりついてしまう。
あれからの「時の流れ」にじゃない。
プロレスというジャンルに、プロレスラーという生き様に。


昨日、山田伊久磨さんと映画を見て焼き肉を食べた。
ペニノで行っていたアメリカツアーの話を聞き、さっき見た映画の素晴らしさについて語り、フルタ丸の相談を持ち掛けた。
肉をあらかた食い終わり、にんにくだけが小さな鍋の中でカリカリにボイルされ続けていた時、プロレスの話になった。


今更、どうしてこんなにもプロレスを面白く感じるのか。伊久磨さんと話していて、それが自然と分かった。プロレス、プロレスラーへの敬意だ。そうさせる圧倒的な説得力があったのだ。この説得力の意味を本当に理解するのに、僕は長い時間が掛かってしまった。だから今、こんなにも興奮していたのか。


武藤敬司が、高田延彦とIWGPのベルトを掛けて闘ったのが32歳。
今の自分と同い年じゃねぇか。
ひさしぶりに悔しくてたまらない。



武藤の放つこの色気。この佇まい。
ここに全部あるな、全部ある。