いま、思っていることを書く、朝

犬の散歩をしている時、
現実からの逃避行を繰り返す時、
好きなバンドの音楽をユーチューブで漁っている時、
沖縄そば屋でべちょべちょのごはんが出てきた時、
2、3秒のフリーズを経て、来年のことを考えてしまう。
主にフルタ丸のことを。
いつもならば、年あけて考えるようなことを
先んじて、今。
この11月に一人で考えている。
ビジョン。
明確なビジョン。
なんとなく活動していくのは退屈だ。
いや、退屈になった。
2年くらい前に、
ビジョンなき活動は集団の死だなと思った。
それに気付いたのが、僕の場合ずいぶんと遅かった。
ビジョンをないがしろにしてた。
夢とビジョンが違うことにも気づいてなかった。
夢は曖昧が許されるし、夢は夢。夢として大事にしなくちゃいけない。
けど、ビジョンに漠然はない。
意味を持たせるんじゃなくて、意味を持ってしまうような。
気付いたら、あっちではなく、こっちの道を歩いているような。
そんな追い立て方であり、在り方。
これが僕のビジョン観。
地に足を付けてデキルこと、デキないことがあるのなら
後者を選ぶようにもなった。
興奮したい。興奮させたい。
そんなことばかりを考えるにようにもなった。
そして、何より、一番変わったことは
生活の真ん中に劇団っていうものがあってほしいと思うようになった。
劇団始めて1年目とかじゃなく、11年目でそう思ってるってことがね。
個人的には愉快過ぎる。