松岡修造の現役感
オリンピックが終わって思うのは
やはり、松岡修造のことだった。
松岡修造を見る度に思ったのは、
選手としては一線から退いているはずなのに
身体にまとっているエネルギーが現役感を全く失っていないことだ。
現役感という言葉が合っているとも思わないが、なんて言えばいいのか。
あれって、すごく稀なんじゃないか。
そして、カッコいい。と、僕は思う。
むかしは笑っていた時もあった。
でも、どうやらあの熱さはホンモノであり、なんか胸を打つ。
他の元スポーツ選手がコメンテーターのように語るのとも全然違う。
画面に現れた瞬間も、引退したスポーツ選手には見えない。
キャスターが出てきたとも思えない。
松岡修造が現れた。
それ以上の説明が難しい。
スポーツ選手は引退と同時に、少しかっこ悪くなる。
と、僕は思う。
ま、現役時代がカッコ良過ぎたのだから、
元の一般人に戻っただけでも、相対的に少しかっこ悪く見えてしまう。
だけのことだが、これはしょうがない。もはや運命。
だからこそ、松岡修造の例外な感じが際立っている。
引退っていうのは、クリエイターにも勤め人にも訪れる。
かと言って、辞めたからと言って、熱さを失う必要はないのだ。
あと、熱さに年齢は関係ない。