日記を書くこと、誰もしらないこと

こうして日記か、ブログか、どっちでもいいけど、
こういった文章を書いていて、
ふと、日記やブログを書いていない人のことを考えるときがある。


書いていない人の方が圧倒的に多い。


その人がその日に何を考えたのか、どんな経験をしたのか、何に感動したのか、なんで泣いたのか。
その人にしか分からないことが世の中にはたくさんある。
僕らはそれを知ることができない。
日記を書いている僕が言ってもアレだけど、本当は書かない方が豊かだと思う。


書かれていないこと、世の中に明確に知らしめられていないこと、明文化されていないこと。
そこにあるドラマ、そこで交わされる会話。
誰もしらないこと。
そっち側の方がいつまでも魅力にあふれていてほしいのである。


本当に魅力的な日々は、人気ブログとか、そんなところにはないよ。


田舎に暮らす友人の名前をググったりしたことあるけど、まー出てこない。
ツイッターとかフェイスブックとかミクシーとかにもない。
自分のことを発信するツールがこんなに増えていてもやってないんだ。
うれしくなる。妙に安堵する。
あいつら何をやってんのかなとイメージしたくなる。


僕はやってる。
日記も書いてる。
強制されてるわけでもないし、好きだからやってる。
でも、書いてて、ここに本当のことを書きたいとイメージしつつも、
家の中とか、居酒屋とか、帰り道とか、バスとか、電車とか、職場とか、病院とか、
あの瞬間に起きたことを、あの温度で、あの空気で、日記に現出するなんてできっこない。
だから書いて書いて書き続けて、いつかそれが書けるようになりたいと思うのかもしれないし、
永遠に書けない方がありがたいのかもしれない。


よく分からない僕の中の葛藤を書いてみました。


まーでも、書いていく方の人生だと思います、僕は。