代弁戦争、あれから15年

大学生の時分、一番考えていたことと言えば「いかに授業に出ずして、授業に出たようにするか」だった。今の大学の出欠システムが分からないので、もしかしたらもうないシステムかもしれないと思い、ビクビクしながら書いている。

授業に出ると出席カードが配られた。それに出席番号と名前を書いて提出する。それがその授業に出たことの証になる。このカードに代わりに名前を書いて出してもらうことを「代弁」と言い、友人にお願いすることもあれば、逆にお願いされることもあった。そうやって成り立っていたのである。

しかし、教授も馬鹿じゃない。こんな代弁システムが100パーセント機能しないことを知っている。だから、出席カードの色を変えて、席に座っている人数分しか配らなかったり、出席カードのある個所に一本のラインを入れて限定感を演出し、手持ちの出席カードが使えないような対策をしていた。

当然、学生たちも対抗した。出席カードの各種各色を揃え常に数枚持ち歩き、配られたカードに不正なラインがないか血眼になって探した。

まさにキツネとタヌキの化かし合いだ。互いに狡猾になっていき、法の抜け道を探り合うような緊張感があった。大学何年生の頃だったか忘れたが、僕はこの代弁をもっとシステム化できないかと常々考えていた。仲間内で同盟を組むことで、完全に勝つ。いや、もう勝つとか負けるとかじゃないんだけど、当時はそんな気分だった。心は武士だった。そんなことを思った僕は、家でペラ一枚の規定とリストを作った。

それを悪友達に配り、それぞれが書く己の名前の筆跡を集めた。誰がどんな字体で文字を書くのか把握し合ったのだ。あと、代弁におけるルールというかマナーを明文化した。ほとんどふざけたようなルールだが、そんなペラ一枚の紙を作った。


話が長くなっている。
その紙が15年ぶりくらいに発掘されたという話だ。その連絡を友人からもらった。現物が残っていたという。それを写メで送ってもらい、15年ぶりに目にした。
完全に若気の至りのような代物で、色んな所がむず痒くなった。
が、当時、僕の中にほとばしっていた「こんなことすら面白くしたい」というエネルギーにも満ちていた。恥ずかしさと嬉しさと悔しさ。よく分からない感情になったので、それをプリントアウトして仕事机の前に貼った。