夢を叶えにかかった

実家の布団に腹ばいになって、
すげーヘンな体勢でパソコンをいじっている。
もうすぐ夜行バスに乗って東京に向かう。


昨日、急遽、一人で帰省した。


話せば長くなるが、書けば短くて済むので書く。


今、自分の生まれ育った岐阜県美濃市でのフルタ丸公演を画策しているのである。


二十歳の時、美濃市文化会館という600人以上入る市民会館で成人式に出た。
その帰り道、手帳に「いつかあの文化会館で演劇をやりたい」と殴り書きしてた。
当時、まだフルタ丸すら結成していない。完全にイメージだけでそう書いた。
いつかのイメージは、成功している自分だった。
成功にも色々あるだろうが、自分の劇団が超人気劇団になっているとか、俺がなんか有名になっているような、そんな格好いいイメージだ。


「凱旋」


そのまばゆい2文字に憧れた。


あれから10年が経った。


僕はあの時に自分が思い描いた姿にはなかった。うん、ねぇんだ。それは分かる。


少し巻き戻せば、祖父の四十九日法要の時だった。
僕と同じように東京へ出て、東京で働く叔父とフルタ丸のことを喋った。
叔父は何度かフルタ丸を観に来てくれていた。
気付くと、「淳、美濃でやるのはどうなんや」と切り出された。
そこから、叔父の熱がどんどん高まっていった。
叔父は僕に美濃での公演を期待した。


叔父に言われて思い出した。
僕はいつか美濃市でフルタ丸をやりたいと思っていた。
手帳にも書いたはずだった。
けど、未だ無理だと思い続け、思い続ける内に記憶の外に追い出していた。


勝手な想像だが、叔父は僕に自分を重ね合わせているとも思った。


同じように美濃を出て東京へ行った。
叔父は設計とかデザインの仕事をしている。


これは、僕の夢でもあったが、叔父の夢なのかもしれないと思うに至った。
そこからは叔父と連絡を取りあい、叔父の高校の同級生の方を紹介してもらい、色々あって今日が来た。


先日、フルタ丸のメンバーにも話した。
「美濃でやるわー」と。


今日は美濃市文化会館で館長にご挨拶し、積年の想いを伝えた。フルタ丸の資料を渡した。また想いを伝えた。ここでやりたいです。何度も言った。


今日の僕はとにかく必死だった。


スマートじゃなかった。


みっともなかったかもしれない。


いつかを待っていられなくなったので、夢を強引に叶えにかかった。


みっともないが、俺は本気なんでしょうがない。