最後の家

実家2日目。


実は、実家を建て直すことが決まっている。
取り壊しが4月ぐらいらしい。
次、僕が実家に帰ってこられるのは……正直いつか分からない。
いつでも帰ってこられると言えば来られる。
けど、帰れないと言えば帰れない。
となると、この帰省がこの実家で過ごす最後になるかもしれないということだ。
おそらく、そうなる。


リビングや自分の部屋の引き出しや本棚を見つめる。


どうしてこんなくだらないものを大事に保管してあったのかと思うようなものが山ほど出土された。僕はイチイチ手を止めてしまい、一つ一つにじっくり見入った。


こんなものまであった。

小学4年生の時の日記帳。
ページを開くと、まったく記憶にないような奇天烈なことが書いてあった。
読んだ奥さんがゲラゲラ笑っていた。
なぜか「めあて」という目標を書きつけてある。


「さいごまでかく」


そう書いてあった。
驚いたが、これは今でもボクの創作信条の一つになっている姿勢だった。
当時は「モノを創りたい」とかそんなことは考えていなかった。
でも、ここから、この日記から、ボクの全部始まっていたことにしちまおう。
なんとなくロマンチックだから。ねえ?



他にもドラゴンズ関連の年代物もごっそり出てきた。
やっぱり好きやったんやなードラゴンズが。改めて実感した。
「93年プロ野球選手名鑑」の表紙は落合博満だった。時は流れている。
変色したメガホンは、ナゴヤ球場時代のものとナゴヤドームで買ったものがあってシールがべたべた貼り付けられていた。あと、なぜかドラゴンズはっぴまであった。こんなのいつ買ったんだろう。本当に記憶がさっぱりないんだ。



ん?
この、家の中で繰り出す僕の「一挙手一投足」は、この家でそれをする最後ではないかということに気付いたのは夕方だった。


この家で、こうして寝転がるのも、風呂に入るのも、飯を食うのも、寝るのも。
すべてが最後になるのか。
もう体験しようにもできないことになる。そこに家がなくなるわけだから。
家が壊されるというのはそうゆうことだ。


この家で19年間過ごした生活の断片が、色んな角度から記憶としてよみがえってきた。


「何も言えねぇ」


あの北島康介はそう言ったという。
ボクだって、何も言えなそうだった。
ただただ「家族」について考えるばかりだった。
すげえなぁ、家族という単位は。
ぼんやり生きてきたけど、それを強烈に思った。


家よ、今までありがとう。