ここが東京ラビリンスの入口

夜行バスに乗る直前まで見ていた『ラ・ラ・ランド』のことを想い出しながら、ロマンチックについて考えていた。あと、美濃で毎日のように見ているのが、この見ず知らずのブライダル映像。僕は、ミスチルファンでもなければ、この二人とは全くの赤の他人。けど、見てしまう。見れば見るほど、ハマっていく。そして、またロマンチックについて考え続ける。

早朝5時半。むにゃむにゃ言っている内に、夜行バスで到着したのは新宿駅。ここが東京ラビリンスの入口。
自宅に戻り、近所のかかりつけ鍼灸へ行く。毎週来ていた時期もあったのに、1カ月半ぶりだった。徐々に身体に力が戻って来る。やはり、定期的に来ないとダメだ。自戒。

下北沢の事務所で「梟の服」の衣装打ち合わせ。今回、久しぶりに衣装さんとしてお願いしている井上さんと詰めの作業。具体的に一気に進んだ。今回、服、ファッションっていうぐらいなんで、すごく大事なセクションであることは間違いなく。見通しが立ったので一安心した。台本に進める。

新宿で地下にもぐり、大江戸線で六本木へと移動。ヒルズで大量のドラえもん後頭部に遭遇する。

今度、お仕事をさせて頂く某ハイブランドの店舗を見せて頂く。最近、ずっと考えていたことがハマるかどうか想像しながらウロウロ。良いものにしたい。

日比谷線やら東横やらを乗り継いで渋谷へ移動。この時点で、すでに汗だるま。朝、東京は涼しくなったな、とタカをくくっていた自分に腹が立った。全くなってないじゃないか。猛暑、たのむよ。

春から構成作家として参加させて頂いている某番組の打ち合わせ。回を重ねながら積み上げて来た部分、数字的な闘い。両方をなんとかしたい。いつもながら台本修正の宿題を抱えて終わる。

下北沢に戻り、夜行バスまで3時間。とある方とサシ飲む。晩杯屋という名前からして激安い居酒屋。カウンター席で作戦、ロードマップの重要性について。あと、コンセプトの大事さ。そこで決まる部分もある。表現活動は、闇雲にやっていても何にもならない。いや、何とかなるのかもしれないが、正確には時間が掛かり過ぎる。時間は限られているということ。

夜行バスでうなされた。

どこか遠い世界のものを作っているような気にもなる

帰省して六日目。
昨日、奥さんは東京へと戻って行った。
近くのバスターミナルまで車で送って行ったのだが、局所的な大雨でえらいことになった。10分前と10分後。道路に溜まる水の量がぜんぜん違う。車で走っているだけなのに、ディズニーシーのアトラクションのように水しぶきがあがった。

今日から、父親、母親、娘、自分の四人体制。
娘は全開だ、全開で夏休みを満喫しようとしている。僕は遊んでいるわけにもいかないので、倉庫の仕事部屋に籠り仕事をする。こっちで出来ることは主に台本書きか企画を練ること。東京で進んでいるいくつかの仕事の台本直しが飛んで来ることもある。こういうものは迅速にやる。スピードが大事。
東京と岐阜。パソコン前なら、どっちで仕事をしていても同じかと言えば、そうでもない。物理的な距離を感じながら書く時、どこか遠い世界のものを作っているような気にもなる。あくまで気分の問題。けど、不思議と集中できるので、スピードは東京で書くよりも出る。

書くことのスピードについて、7月はよく考えた。僕は時間を掛ければいいものが書けるわけではないと思っている。中華料理屋で食う中華料理がなぜ美味しいかと言えば、強い火力で一瞬で火を通すから。家庭用のガスコンロとフライパンで時間を掛けて炒めていてもダメだ。食材と調理工程が決まったら、強い火力と中華鍋で一気に炒める。書きながら、そのイメージはいつもある。熱を封じ込めたい。

いきなり、話は変わり、実家で採れた茄子。妙なところから突起が出ていて、イケメンが汗をかいているようにも見える。

スラムダンクに、こんなバスケットマンいなかった?

僕も今夜の夜行バスでいったん東京に戻る。明日、打ち合わせを詰め込みまくっている。それが終わったら、再び夜行バスで岐阜に戻ってくる。

それは山里にある洋品店だった

朝、早々に車で出発した。
目指すは白鳥町石徹白にある「石徹白洋品店」。
美濃も田舎だが、ここからさらに北上した石徹白は完璧な田舎だ。
何を持って完璧なのかと言えば、圧倒的な緑の量と人口密度。
車で1時間半。晴れた、曇った、雨降った。一分おきに変わり続ける山の天気に翻弄されながら、山を越えていく。
一応、ナビは入れてある。だから、道は合っているはずだった。けど、不安になる。それぐらいの山道を走っていた。こんな所に、ほんとうに洋品店などあるのか。



あった。



注意して見ていないと通り過ぎてしまいそうだった。

この洋品店の存在は、大地君から聞いて無茶苦茶気になっていた。
石徹白で採れた草木から染料を作り、石徹白に伝わる伝統的な衣服「たつけ」をベースにした服作りをしている。「たつけ」とは農作業着だ。石徹白の人しか知らない作り方の服を、石徹白のものを使い、石徹白で作る。それを求めて全国からこの山里へ買いに来るという。

前に誰かが言っていた。服とは最終的に生地である、と。

お店に入る。一階と二階の二つのフロアー。

明るい店内には、色んな「たつけ」シリーズが並んでいる。

安くはない。一つ一つに手間が掛かる分、高い。

ドット柄のワンピースやたつけが並ぶ「ドットの服展」の最終日でもあった。
僕も藍染のたつけを購入し、裾直しを待つ。裾を直すのは、地元のおばちゃんだった。たった今、法事が終わって駆け付けて来たらしい。法事が押していれば、僕のたつけは後日郵送になっていた。
15分くらい待ち時間があったので、その間、洋品店の代表の方に色々と話を聞いた。染めている場所などを見学させてもらった。

人は服に魅了される。なぜだ?その問いに対する答えを探していた。服は、服の作り方、生産の仕方も千差万別。求めなければ、選ばなければ、服なんてどこにでも売っている。もっと安くて、もっと近くで、もっと色が選べる服なんか、いくらでもある。それでも、遠方からいくつも山を越えて、ここにやってくる人がいる。

服とはなんだろうか。服とは。服とは。

ここへ来る人は、物語を着たいのかもしれない、と言ってしまうには乱暴か。でも、魅力を説明する時、僕らはいつだって物語に立ち返らざるを得ない。物語がないものはつまらないのだろうか。じゃあ、なぜ物語を探し続けているのか。問いは、次の問いを生み続ける。なんてこった。


石徹白洋品店
FURUTAMARU.梟の服

好きなファッション用語はドレープです

実家の離れの倉庫、その2階に大きなダイニングテーブルがある。パソコンを開き、いろいろな資料を広げたままにして、帰省中の仕事部屋になっている。
その片隅に、すでにあった。


「梟の服」看板。

今日は、登場人物のキャラクターについて整理を続けていた。FURUTAMARU.の活動は、山田伊久磨、清水洋介、フルタジュンの3人しか出てこない。ということは、3分の1が自分だ。これはどう考えても、自分が役者として登場する割合が大きい。16年間、フルタ丸で舞台に立っておきながら、僕に役者としての自負がない。けど、今回は役者としての自分の可能性について考えている。自分に何ができるのか?いや、やってやろう、やるぞ、といつも以上に息巻いていることは声高に言えない。こっそりと、ここにだけ。

それにしても、ファッション用語は魅惑だ。

「ドレープ」

なんて言葉は最近知った。垂らした布にできる柔らかい流れるようなひだのことを言うらしい。そんな名前がついていたなんてね。服とファッションを取り巻くモノの考え方、面白さ、奥深さ、調べれば調べるほど、気になれば気になるほど面白い。熱中している。

夜は岐阜公演で会場として使わせてもらう美濃DiAngeloで打ち合わせ。地元の先輩、大地君のお店。以前、フルタ丸「フルカラーの夏」で使わせてもらって以来。

すごくイメージが湧いた。作品と雰囲気を馴染ませていく。会場の数だけ、作品が変容していく。「梟の服」は、そんなことを強く意識している。良い夜だった。

想い出して来て、想い出して来る

帰省して三日が経ち、美濃の夏の過ごし方を想い出して来た。

朝から家族を連れて川遊びへ。川の水は清く冷たいが、慣れたらこっちのものだ。川に飲まれてる場合じゃない。むしろ、川を飲んでやるんだと自分に言い聞かせる。
気温が上がり日差しが強くなると塩梅が整っていく。川と森と入道雲の配置が整い、絵葉書のような風景が完成する。急流をすべる。魚を捕る。川辺で食う手作りおにぎりの説得力。キャベツ太郎の心強さ。全てが判で押したように、いつか味わったことがある実感。匂いと景色。消えるな、この実感。

夕刻に、娘が誕生日をむかえて八歳になった。毎年、17時半に生まれた事を思い出す。あの日の昼飯、俺は大好きなつけ麺を食っていたのだということも思い出す。おめでとう。奥さんから何かおもちゃをもらって喜んでいた。

こっちに戻って来てから決めていた夕方のジョギング。今日は走れず終い。
久しぶりに何も書かずに一日が終わる。と思い、久しぶりにブログを書き出した。「熱闘甲子園」を見て寝よう。

やってくる音楽

作品を創っていると、その世界観とマッチする曲が聴きたくなる。直接的に作品に使わなくとも、創る自分を盛り立てる音楽として聴くことがある。往々にしてある。要するに応援されたいのだ、音楽に。で、その作品にいかにも合いそうな音楽っていうのが、音楽の方からやってくる。
これを何回も経験していて、ほとんどの場合がこれに該当するかもしれない。
探さないと、の時は出会えない。
油断している時に、やってくる感。シンクロニシティという便利な言葉があるので、そういうものだと思っている。
カフェの店内音楽、付けていたラジオ、SNSのツイート、YouTubeの関連動画、時間潰しのためにたまたま入ったCDショップの視聴機(これは大学3年生の時、旅の途中の鹿児島で起きた)。
生活シーンの思わぬ所から、藪から棒的に現れる。
昨日も、出会いはカフェだった。

良い!この曲だ!

となり「Shazam」というアプリを起動する。知らない音楽を読み取らせて曲を判明させる。すぐにメモをする。こんなことばかりやっている。

非日常から日常へ降りる

フルタ丸の本公演が終わって、いつの間にか37歳。自分の精神年齢に自信が持てないまま生きて来たが、いよいよ本格的に自信がなくなってきた。みんな、そのへんどうしてるの?一つ言えるのは、間違いなく僕が子供の頃にイメージしていた37歳の精神ではないんだよな、今の自分が。

本公演のために止まっていた色々な仕事に手を付け始めた。結果、毎日何かしら書いている。塵も積もれば山となる理論ではないが、毎日やればいつの間にか完成を迎える。で、頂上が見えて来たあたりから、ふっとラクになる。景色が見えて来るとギアを入れられるのは山登りと同じ。と言っても、僕に山登りの心得はない。きっとそうですよね?「コツコツやる」以外に執筆の正攻法はないな、といういつもの結論。

ひとつ宣伝。3月ぐらいに書いていた舞台が今週から新宿村LIVEで上演される。僕は企画と台本のみの提供。


『ゴールドフラワー』
6月13日(水) 〜17日(日)
新宿村LIVE
http://dp-isr.com/gold-flower/


ある日、ある財団が、何の説明もなく女の子にだけコインを一枚ずつ配った。
真ん中に花のマークが施されている金色のコイン。
女の子たちは、そのコインを「ゴールドフラワー」と呼んだ。
ただの記念コインなのか、それとも新しい貨幣か。
様々な憶測を呼び、大人たちは動揺した。
ある女の子はコインショップで幾ばくかの金と換え、
ある女の子は財布に入れたまま持ち続けた。
また、ある大人は女の子達から何百枚も買い集めたりもした。
あれから13年。もう誰もコインのことなど思い出さなくなった日。
郊外の山を切り開いた土地に巨大なランドがオープンした。
そこには、あのコインで体験できる摩訶不思議なアトラクションがあるという。


上記は、あらすじの一部。
演出家と連絡を取ったりはしたが、フルタ丸と被っていたこともあり稽古場には一度も顔を出せなかった。一つの演劇作品としてどんなことになっているのか、ほとんどお客さんと同じ目線で客席から楽しみたい。